|
旧長銀を買収した米投資ファンドのリップウッド・グループなどの株主が得る巨額な利益や、新生銀行が不良債権処理を進める上で大きな役割を果たした瑕疵担保条項などを巡り、多くの国民は割り切れない感情を抱いている。 日本的な金融慣行のしがらみを絶てない銀行業界があればこそ、新生銀行が短期の再生を果たせた面も否定できないから事情はなおさら複雑だ。 しかし、それらは売却の当事者の日本政府や銀行業界の問題であり、新生銀行や大株主への批判はフェアではあるまい。他の大手銀行が不良債権処理を終え、健全な銀行に再生するまではコストの比較もできない。(後略) ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 「濡れ手に粟」とは、このことだろう。誰もが、そう思いたくもなる。 長銀を買収した米リップルウッドを中心とする外資系投資組合は、今回の上場で約2300億円の売却益を手中にした。買収費用は出資金を含めて1210億円で、今回だけで差し引き1000億円以上を稼いだ勘定だ。 国が投入した公的資金は約7兆9000億円に膨らんだ。そのうち債務超過分を穴埋めした約3兆6000億円は損失が確定している。国が買い取った債権も損失が出るため、最終的な国民負担額は4-5兆円に達する見通しだ。 改めて国民負担の巨額さに驚く。これに対し、外資系投資組合は買収後、わずか4年で大儲けしたことになる。この外資系投資組合は、本拠地を外国に置いているため、日本政府はその売却益に課税できない。 国民負担が膨らんだのは、政府が投資組合側に極めて有利に働く拙劣な仕組みを作ったためだ。“平成の不平等条約”と批判されている「瑕疵担保条項」である。新生銀が引き継いだ債権が2割以上下落した場合、国が債権を買い取り、損失を全部かぶるという規定だ。(後略) −−「読売新聞」2月20日社説
しかし、日経が指摘するように新生銀行や大株主(リップルウッド)を批判するのはフェアでもないし、ことの本質を見誤って問題の解決にも役立たない。感情的な報道がなされるかぎり、外資に「濡れ手に粟」される状況は続くだろう。 新生銀行をめぐる批判の論点は、大株主が手にする巨額の利益、瑕疵担保条項、売却益課税の回避の3つだろう。だが、リップルウッドの側にしてみれば当然のことをしたまでだ。 新生銀行あるいはリップルウッドの立場に立ってこれらの批判に反論すれば次のようなかんじだろう。
もし、他の投資家グループがリップルウッドよりもっといい条件(国民負担が少なく、金融危機を回避できる条件・スキーム・実行可能性)を示していたら、そのグループが落札できたはずだ。その意味でリップルウッドがいちばんいい条件を出し、いちばんリスクを取ったわけだ。 しかも、単にお金を出しただけではない。きちんと汗をかいて事業を再生させた。リップルウッドでなかったら、今回のような短期再生ができなかったかも知れない。中央三井や公的管理のままだったら、しがらみの中で問題を先送りし、国民負担は拡大していたに違いない。 およそ実業を知らないマスコミには、事業(ましてや事業再生)の大変さは分かるまい。リスクを取り、汗をかいた結果として大きなリターンを得たのだからそれを批判するのは的外れのそしりを免れない。
もし最初から返品不可だったら、買い手は不良品をつかまされるリスクを負うわけだからその分安くないと買わないはずだ。今回に関してはもともとの買値が安く、それ以上安くはできないのだから瑕疵担保条項でリスクヘッジするほかない。 また、M&Aにおいては時間をかけて買収先の事業や資産内容を調査した上で買収価格を決めるわけだが、今回のケースは政府が破綻処理を急いだため、投資家には十分な時間もなかった。となれば、後で瑕疵を調整する条項を入れないと話はまとまらない。 もし瑕疵担保条項が不平等条約と呼ばれるほどに理不尽ならものだったら、日本政府は瑕疵担保のない中央三井を選ぶこともできたろう。1つ目の問題にも関連するが、売り手には複数の選択肢があったのだから売り手の判断が批判されることはあっても買い手に批判の矛先が向かうのは筋違いだ。 (買収の過程でリップルウッドが「政治力」をつかったのは事実だろうが、かと言って、長銀を破綻させた経営陣や大蔵省が問題の元凶だという事実は動かない)
極端な話、日本で課税されるならリップルウッドは今回の話に乗らなかったということもあり得る。税負担がないことがスキームの1つの前提だったかも知れないのだ。 海外(オランダ)を経由した租税回避は今に始まった話ではない。国税庁ではオランダとの租税条約の見直しに着手するとの報道があったが、今回に関しては手遅れだ。もっともここ数年、税務当局は国際的な租税回避スキーム封じに向けて躍起になっているが・・・。
日本では「お金儲け」というとネガティブに捉えられがちだ。ある意味、日本の美徳ではあるだろう。しかし今や、世界中の資金が収益機会を求めて動きまわっている。日本の中だけで仲良し村を形成できる時代ではないのだ。 こうした時代の厳しさを認識して、国民ひとりひとりの財務に対する感覚(お金に対する感覚、リスクに対する感覚)を磨く必要がある。合理的に対応しないとゲームには勝てない。感情的な対応しかできないうちは、外人に 「やられっぱなし」だ。
リターンを得るには、リスクを管理しながらリスクを取る。感情で動くのではなく、冷静に合理的にものを考える。経済の金融化がますます進行している現在、
こうした感覚・習慣を国民全体として身につけることこそ求められているのではなかろうか。 ■感情にまかせては財務的に正しい判断はできない。冷静にものを考える姿勢こそ正しい判断の第一歩である。 |
(C)公認会計士米井靖雄事務所 1999-2011 |