埋没原価は、一般に、先の設例のような「追加受注の可否」の問題として教科書に登場します。このほか、この問題が取り上げられるケースとして、「事業継続の可否」の命題があります。
ここで、再びA社を引き合いに出して、この命題について考えてみましょう。
――●事業継続の可否
印刷業を営むA社の年間の印刷枚数は1000万枚で、そのコスト構成は次のようなものだったとします。
材料費 20,000万円
人件費 20,000万円
償却費 20,000万円
60,000万円
今、A社は不況による商業印刷の落ち込みから売上不振にあえいでおり、ここのところ年間の売上は50,000万円で、毎年10,000万円もの赤字を計上しています。果たして、A社はこのまま事業を継続すべきなのでしょうか。それともすぐに事業継続を断念すべきなのでしょうか。
答えは、「事業を継続すべき」です(但し、「当面」の限定つきですが)。
何故なら、ランニングコスト(材料費プラス人件費の40,000万円)を上回る売上(50,000万円)があるかぎり、損益上は赤字でもキャッシュフローで考えれば10,000万円の黒字(50,000万円−40,000万円)になるからです。
さて、ここでのポイントは2つあります。
まず、以前の設例と埋没原価の対象が違っている点です。「追加受注」の命題では、人件費と償却費が埋没原価でした。しかし、今回は人件費が埋没原価から外れ、償却費だけが埋没原価(計算の対象外)となっています。
いったい何故でしょう。
それは事業継続の命題と追加受注の命題とでは、意思決定の対象となる期間が違うからです。
追加受注の例では、命題の対象期間は目先の1ヶ月の話でした。そのタイミングでは、従業員を増やすことはできても減らすことはできません。目先1ヶ月の給料は、「支出することを既に約束してしまったコスト」に該当し、埋没原価になるわけです。
これに対し、事業継続は中長期的な意思決定の問題です。対象期間が年間ベースになれば、「雇用調整」も可能になります。したがって、この場合には意思決定の対象になるのです。
(上のことを理解するために、売上が更に4割下がって、30,000万円―印刷枚数では600万枚―になることが予想される場合のことを考えてみましょう。
コストのうち材料費は変動費だとすると、このときの材料費は20,000万円x60%=12,000万円です。ということは、人件費を18,000万円(売上30,000万円−材料費12,000万円)以内に抑えることができれば、まだ事業を継続できます。
人員整理や賃金カットにより、18,000万円以下の人件費で600万枚の印刷をこなすことができれば、事業規模を縮小することで会社の存続を図ることができるのです。)
このように、埋没原価は問題の期間設定により対象が変わってきます。
この命題のもう1つのポイントは、心理的な影響の問題です。「せっかく買った設備なのだから、使わないと損」という未練にも似た感情です。
しかし、収入がランニングコストさえ賄えない場合には、「使うことこそ損」になるのです。
事業撤退には個人や組織のメンツの問題も含め、もろもろの感情が錯綜します。しかし、これらを排すためには、数字に基づいた「合理的」な判断が必要になってくるのです。